目次

外食産業のフランチャイズシステムの全貌に迫る
1.フランチャイズチェーンシステム
チェーンレストランの登場と確立は、その後に外食産業の急発展をもたらす契機となり、またその手法がさまざまな事業者によって採用されることで、多種多様な業態のレストランチェーンが各地で比較的短期間にチェーン店数の増大を可能とした。その結果、外食産業全体の多様性が促進されたのである。

そのチェーンシステムに、フランチャイズチェーンシステムがある。通例として、チェーンシステムは、「直営(店)」チェーンシステムと「フランチャイズ」チェーンシステムの2つの異なったタイプで説明される。チェーンの特徴は、本部機構と店舗機構の機能分割と結合にある。直営(店)チェーンシステムでは、この本部と店舗が共に1つの経営意思のもとに統括されているものである。

これに対して、フランチャイズチェーンシステムでは、店舗運営に本部とは違う経営体を求めて、本部側はブランドなどの商標と店舗運営のノウハウ一式(フランチャイズ・パッケージといわれる)をあらかじめ用意して、これを別の経営体に契約を締結したうえで提供するというものである。そして、この本部とは別の経営体が、契約に基づいて店舗を運営するという仕組みである。

この際に、本部側経営体をフランチャイザー(または、本部)といい、店舗運営を担当する側をフランチャイジー(加盟店)という。また、本部側の店舗ブランドとノウハウ提供に対して支払われるフランチャイジー(加盟店)側の対価は、ロイヤルティフィーと呼ばれる。つまり、一般的な商品売買にたとえれば、フランチャイズパッケージの売り手がフランチャイザー(本部)であり、それの買い手がフランチャイジー(加盟店)であり、その代金がロイヤルティフィーである。

実際には、いくつかのパターンがある。
まず、外食フランチャイズチェーンでは、そのチェーン(本部)が擁する店舗の一部が直営店であり、残りの一部がフランチャイズ店舗である場合が一般的である。これは、直営店がいわばフランチャイズパッケージの商品見本、内容見本となっていて、フランチャイジー(加盟店)になろうとする経営者は、直営店を観察することで、フランチャイズパッケージの概略が示されるという役割がある。もちろん、直営店の営業成績そのものが良好であるということが前提であるが。

次に、フランチャイズパッケージのなかに、特定エリアにおける店舗営業の排他的独占権が含まれる場合と含まれない場合がある。もともとフランチャイズという言葉は、「特許行使許可地区」、「一手販売権」という意味の言葉である。店舗営業独占権が含まれる場合には、当該エリアに当該ブランドの直営店や他の加盟店が出店することができない。

この場合にはしばしば、フランチャイジー(加盟店)側が当該エリアで一定の期間以内に複数店舗を出店する義務を負うという条件がつくこともある。その場合の出店舗数も契約内容として盛り込まれる。時として、問題となるのは、フランチャイジー(加盟店)の具体的な出店義務が薄く、当該エリアでの店舗営業権だけが独人歩きする場合である。

フランチャイジー(加盟店)にとっては、ある種の先行投資的な意味合いが強くなり、 しばらくするうちに、経済情勢や社会環境が変わったり、あるいはそもそもの当該ブランドそのものの魅力が薄れたりすると、契約解消問題に発展しかねないのである。
また、フランチャイズパッケージそのものも結構多様である。

まず、外食産業が消費者に提供する基本商品としてのメニューの食材調達を加盟店がどのように行うのかという最も根幹のことについても、いくつかのパターンがある。たとえば、加盟店側がそのメニューの食材を本部経由の物流で調達することが義務づけられるものもあれば、本部が加盟店に業務用卸などの指定業者だけを紹介するものもあれば、本部側は仕入れ食材の規格基準を示すだけで店舗での食材仕入れそのものは加盟店の判断で行うというようなものまである。

さらに、外食産業の基本商品である接客サービスについても、いくつかのパターンがある。たとえば、加盟店の店舗従業員の教育訓練を専用のトレーナーをつけて比較的長期間実施し、その後も定期的に教育訓練の機会を担保するものもあれば、短期間の訓練だけ施してあとは運営マニュアルの提供に委ねているものもある。

そして、こうしたフランチャイズパッケージの多様性に対応して、これの対価としてのロイヤルティフィーの額についてもさまざまな考え方とさまざまなパターンがある。
このようなフランチャイズチェーンの多様性は、一方では、外食産業でさまざまな業種業態が短期間に一定の勢力に拡大するうえでは貢献するところが大きいが、他方では、その契約内容の解釈の幅が大きくなることで、本部側と加盟店側での意見の対立を生む可能性を残すところとなっている。


2.外食と外食施設
人々の食生活の一部が、外食に委ねられることは、都市社会においては、ごく一般的なことである。人々の外食の歴史は、貨幣経済の発展と都市の形成とともに古い。また、都市化社会の発展期は、同時に外食産業の成長期でもある。

たとえば、わが国では江戸時代において世界的な大都市であった江戸(現東京)では、多種多様な外食産業が登場して普及している。その後期においては、振り売り(移動販売)の外食で、そば、すし、天ぷらなどの商いが大繁盛している。あたかも今日のハンバーガーショップの大隆盛を彷彿とさせるものである。

19世紀後半の明治維新以降の経済発展も都市部における外食産業の発展を伴うのであり、また20世紀後半の高度経済成長期以降も同様にわが国で何度目かの外食産業の大発展期である。

都市生活者は、居住地あるいはその周辺で勤務が完結することは少なく、勤務者は居住している所と勤務地が隔てられるので通勤生活が普通である。また、勤務先においても外勤する人が多数いる。そのため、外食施設はこのような都市生活者の食生活を支えるインフラストラクチャーとして不可欠の構成要件なのである。

この外食施設は、「飲食物を提供する店」という意味で飲食店と呼ばれることが多かった。また、その屋号には、比較的大きくて立派な建物というイメージを有した「堂」の字を用いて食堂と名乗るものも多かった。外食施設は、定置店舗を構えるもののほかに、振り売りや屋台での移動販売形式のものもそれ以上に多かった。

しかしながら、20世紀の後半になると、第2次世界大戦の敗戦によるアメリカ主導での戦後改革により、主に食品衛生の観点の普及と制度化とにより、振り売りや屋台での移動販売形式による外食提供は、著しく制限されるところとなった。

また、1970年を境として、これもアメリカから小売業ビジネスと同様の経路をたどるようにして、チェーンレストラン(チェーンストアの外食産業版)の思想と仕組みがわが国に導入されるようになった。その結果、それまでの個人経営による「飲食店」の世界に、外食チェーンのビジネスモデルがもち込まれて、近代的な企業経営による外食産業が確立した。

実は、「外食産業」という言葉も、このころはまだ使われておらず、チェーンレストランが全国にあまねく普及するようになって、やっと一般的に使用されるようになった。それは1980年代のことである。今日でもこの言葉は、外食提供施設、あるいは外食提供事業全体を指す場合と、そのなかで主にチェーンレストラン、あるいは近代化した企業経営によるものに比較的限定して指す場合とがある。


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