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現代食生活の諸相―多様化とその要因
家族の食生活の多様化をもたらす4つの社会的要因
現代人の食生活は、実に多様である。それは、人々の暮らし向きが多様化しているからである。その多様化は、具体的にどのような場面で確認できるのであろうか。あるいは、 どのような要因が作用した結果として、多様化がもたらされているのであろうか。以下に、その社会的な要因として、「家族形態の多様化」、「食の供給形態の多様化」、「食情報の氾濫」、「食の技術革新の進展」をあげて、簡単に解説してみよう。

第1に、家族形態が多様化していることを指摘する。多様な家族形態を反映して、現代人の暮らし向きが、多様化しているために、食生活も多様なものとならざるを得ないという事情がある。
第2に、食生活を支えるための供給形態が多様化していることを指摘する。

食料品を扱う小売店は、生活空間の周囲に隙間なく供給されているし、外食産業やコンビニエンスストアもそうである。また、通信販売。インターネットなどで食品を取り寄せることも自在である。食生活の仕方も消費者の好きなように選択できるようになっている。

第3に、食に関する情報が氾濫していることである。消費者は、普段に食情報に接して、さまざまな食ニーズを形成するところとなっている。

第4に、食に関する技術革新が進められて、これまで入手困難な食材や実用化されていなかった調理法などを駆使して、新しい食生活の演出方法が次々と提案されていることである。
今の私たちの食生活は、現代人に特徴的な出来事として、このような社会の変化と連動して、多様化し続けているということができる。
では、もう少し具体的に、これらの社会の変化と食生活の実際を対応させてみてみよう。


家族形態の多様化
20世紀の前半までは、家族生活は大家族形態を基本としていた。大家族というのは、同じ屋根の下に、 3親等、 4親等の人たちや時には親族以外の人もいっしょに居住して、生活を共にするというスタイルのことである。また、このころまでは、わが国の人口の過半は、農村人口であり、農家居住者であった。

この時代の日常の食生活は、家族共同の営みであった。というよりも、そこで営まれる家事労働のほとんどすべてが、家族成員間の分業と共同作業による家族総がかりの労働であった。たとえば、小児も、子守、掃除などの家事は、けっこう家族といっしょに共同作業に参加していたのであり、また、水汲みや食材の水洗い、かまどの火の番などの役まわりがあった(小児がどの程度実質的に寄与したかどうかは別問題であるが、児童の居場所があったということである)。

また、農家であれば、小児も野良に出て農作業に加わったり、家畜の番をしたりといった役割があった。つまり、家族は消費生活の単位であるとともに、生産活動の単位であったのである。
20世紀の後半になると、こうした家族形態が大きく流動化していく。
第1に、特徴的なことは、核家族化の進展である。第2には、単身生活者、2人暮らしの家族といった、家族の最小規模化の進展である。

核家族とは、両親とその子どもだけで構成される家族のことである。
1950年代後半から1970年代初頭の10数年間に渡るわが国の経済の高度成長は、大都市部や工業発展を続ける太平洋沿いの諸都市に、膨大な新規労働力需要を喚起して、全国の地方農村から若年層を中心にして、民族の大移動とも表現されるほどの大規模な人口移動をもたらした。

この過程で、大家族に属していた若者は都市に移住したが、やがて都市で結婚して、新規に所帯をつくり、子どもを生み育てることで、核家族となった。
ちなみに、家計分析の際に、標準世帯という用語を使うことがあるが、標準世帯とは両親と子ども2人の4人世帯のことである。

ところが、高度成長の終焉のころから、婚姻する年齢がめだって上昇するようになり、場合によると結婚しないまま年齢を重ねる人も増加した。さらには結婚しても子どもを生まないカップルも増えていった。

子どもが、学校生活を終了して会社などに勤めて社会生活を始めると、家庭から巣立って単身で生活するようになることが多いが、そうした人たちが、結婚という次のステージに進むことなく増えていくということが社会現象として進行した。結果、高齢者の両親または片親と中年世代の子どもという核家族や2人世帯も増え続けている。

いずれにせよ、高齢化社会の到来とともに、 4世代家族、 3世代家族の出現が珍しくなくなる一方で、単身生活者ならびに、 2人世帯が急激に増加しだして、核家族は、すでに家族形態の主流ではなくなっている。家族の多様化が、止めどもなく進行しているという状況である。


食の供給形態の多様化
上述したように、大家族が支配的であったころは、家族単位での消費行為が原則であったので、食生活も家族を単位として、食材(飲食料品)を調達して、家庭内で煮炊きして食するという家庭内食(内食と略されることが多い)が基本であった。食材は、自家調達のほかはまとめて周辺の小売店から調達することが一般的であった。

ところが、次の事態が進行することで、同じ所で同じ時間帯にとられていた家族共同行為としての食事は、それぞれ別々の場所で、別々の時間帯で、家族バラバラにとることが増えていく。
まず、昼食についてであるが、学校給食の普及と勤務者の増加により、家族別々の行為となった。

学校給食は、小・中学校に普及した。当初は、飲み物のみの「ミルク給食」という形態も少なくなかったが、やがて「完全給食」という形態が全国に普及していく。ミルク給食の場合には、主食などは支給されず飲み物だけが供給されるので、家庭でつくった弁当などを学校に持ち寄った。家庭で弁当がつくられれば、これは家庭内食の延長にあるものである。

これが、次第に「完全給食」に移行する。完全給食とは、飲み物〔(当初はミルク(脱脂粉乳)〕、主食(パン)、おかずの3種類がそろった給食のことである。こうして児童・学童のウィークデーの昼食が学校給食に委ねられるようになる。

次に、家族のなかに勤務者が増えてくると、彼らは昼食を勤務先でとることになる。持参弁当の場合は、家庭内食の一環である。高度経済成長のころまではまだ、勤務者(サラリーマン)を称して「腰弁」という別称があった。文字どおり、「腰」に「弁当箱」をぶら下げて歩く通勤姿を揶揄した表現である。

しかし、この表現は、高度経済成長の終焉のころからなくなってきた。「腰弁」はまったくの少数派となり、勤務先での社員食堂、配達弁当、購入弁当、周辺の飲食店の利用などで昼食をすませる勤務者が主流となったからである。要するに、さまざまな昼食の供給形態が、各地で普及していったのである。たとえば、中小企業者は、寄り集まって協同組合組織をつくり、昼食の弁当を職場に製造して配達するという事業組合を全国で設立した。こうした組合においては、一部では保育園への給食弁当なども請け負った。

さらに、夕食についても家族全員がそろう食卓場面が希薄となった。
塾通いや習い事をする児童・学童が増え、彼らは学校の帰りに塾や稽古場に立ち寄るのであるから、途中に小腹満たしをしないと空腹に耐えられないことになる。1960年代までの高度成長期では、駄菓子店や軽食外食店(ラーメン店、お好み焼き店など)が、彼らの小腹満たしの引受け手として大量に登場した。

これらに加えて1970年代以降では、ファストフードの外食チェーン店が、1980年代ではコンビニエンスストアが、追加されていった。
こうなると、家庭での夕食時間は決まりがなくなり、家族銘々の夕食食卓の風景が増えた。

一方、戸主は、勤務者となるものが多くなり、通勤を伴う生活となった。他の家族成員もこれに準じた。彼らは通勤時間が延長したり、勤務時間が夜に及んだり、勤務先での同僚などとのつき合いが増えたりすると、家庭への帰宅時間が遅くなったり不規則になったりするので、当然に決まった夕食時間に家族がそろうことも困難となってくる。

こうした勤務者の夕方から夜にかけての食事需要を満たすところとして増加したすし店やそば店などの外食店は、酒類も品ぞろえして、勤務者を迎えるのに格好の施設であった。割烹や居酒屋など、酒類を主にした飲食施設や遊興を伴う外食施設も増加した。

こうなると、家庭での家族そろっての食卓・団らんは、家族成員の強い申し合わせなど、特別に約束事をつくらないと、 日常的には、実現がむずかしい事態となった。
それに代わって、家庭にあっても、家族が別々の時間に銘々の夕食をとる風景が一般化した。さらには、夕食は家族銘々で外食するということも珍しくなくなった。

また、朝食においても、夜の就寝時間が遅くなるにつれて、朝の起床時間が遅れるようになり、学校や勤務先の始業時間との兼ね合いで、家族が別々に朝食をとったり(個食、孤食)、場合によると、家族の一部が朝食を欠食したりすることも増えた。こうした食卓事情をねらって、スナック食や簡便食の供給も増えた。

以上のように、こうした生活様式の変化に対応して、学校給食、給食弁当の配達、社員食堂、飲食店の出前、飲食店の店舗増、帰宅途上の居酒屋の店舗増、宅配業態(ピザなど)の普及、持ち帰り弁当店、百貨店などの惣菜コーナーの充実、そしてコンビニエンスストアでの弁当などの大量供給など、実に多種多様な食の供給装置が、社会的に整うようになったのである。

消費者は、その時々の都合に合わせて、こうした食の供給装置から適当なものを選択さえすれば、食生活は満たされるようになっているのである。


食情報の氾濫
大家族の下で、家族総出で食生活が営まれていたときには、食に関する情報は、家族間での伝承によることが合理的であった。実際にも「手前味噌」の言葉が示すように、基礎調味料を自家製で確保継承することで、いわゆる「お袋の味」、「わが家の味」を維持継承することができたからである。しかしながら、核家族化を皮切りに、家族相互の情報伝達力が弱まると、食生活を演出するために、代わって、マスコミュニケーションの役割が高まった。

高度経済成長下では、主婦を対象にした実用婦人誌が部数を伸ばした。
実用婦人誌は、新年号に「家計簿」が付録につくことが慣例である。この時代は、核家族化が進行して、専業主婦が社会に大量に登場して、新しい時代の生活のノウハウの習得に家庭外の情報源として、雑誌メディアを活用するようになったのである。

続いて、団塊の世代などの若年層が消費市場に大量登場する1970年代になると、ファッション、趣味、旅行などを取り上げる女性誌が次々と創刊されて、若年女性誌の時代を切り開いた。型にはまった専業主婦像や家庭生活を最優先する主婦像から離れようとする気運が盛られたのである。

このころから、雑誌、書籍では、伝統的な家庭料理の継承ではなく、新しい料理法や盛りつけなどの紹介記事が増え始めた。さらに、1980年代になると、働く女性を念頭においたライフスタイル雑誌が追加されて、日常の買い物、料理、食事、食器、台所用品などの特集も、それに見合う新機軸を盛り込むようになった。各戸に宅配される新聞も、「家庭欄」などの記事をつくって、これとよく連動した。

こうして、20世紀の後半には、食の情報の多くが家族の間で再生産された時代から離れて、マスメデイアから絶えず新しい食の情報が伝達入力されるようになったのである。ラジオ、テレビ(TV)なども、これに追随した。

とくにTVは、グルメ番組と称して、 日常的な食生活から離れたハレの食生活や高級レストラン、海外の食材・料理・食事情から、行事食の再構築など、ありとあらゆる分野に食情報の題材を求めて、視聴者(消費者)の関心をあおった。

こうした情報体験、 とくにTVでの疑似体験が積み重なってくると、マスコミ情報を現実に追体験したいという欲求が膨らんでいき、そうした欲求に応えようとする事業者のビジネスプランが、次々に売り出されるようになった。グルメを売りにするパック旅行などは、その最たるものである。またこの間に、ワイン、ケーキ、アイスクリーム、カフェなどブーム(流行現象)を喚起する役割も果たした。最近では、健康食品ブームもしきりにあおっている。


技術革新の展開
そもそも、半世紀ほど前には、家庭や社会のインフラストラクチャーとして、電気・ガス・水道の設備。配管は、一部都市部を別にすると全国的にはまだ整っていなかった。高度経済成長時代から、これらが本格的に整備進行していったのであるが、それと平行して家庭生活のなかに電化製品が普及していくことになった電気釜、冷蔵庫、電気ポットなどの普及は、食生活にかかわる家事労働時間を劇的に減らして、家族総出の営みから主婦1人のマンパワーでも切り盛りできる作業量にまで短縮することに成功した。1970年代になると、冷蔵庫は、冷凍庫つきとなり、電子レンジ(マイクロウェーブオーブン)も普及し始めた。

家庭における冷蔵庫など家電製品の普及は、食材の保管を容易にして、食材と料理の多様化の基礎となった。また、冷凍庫(冷凍庫付き冷蔵庫)の標準装備化などでは、家庭における個食化の基礎を提供した。個食とは、家族がそろって食事するのではなく、それぞれがバラバラに食事をする様をいう。

他方、1970年代に急成長を開始した外食チェーンレストランでは、食材の冷凍技術を駆使して、各店舗にセントラルキッチンから食材を供給するシステムを開発した。セントラルキッチンで下ごしらえした食材を店舗に運んで、店舗では料理の最終調理部分だけ分担するという仕組みである。

こうした手法が採用されると、店舗での料理技術の投入が楽になり、調理の熟練労働に依存する割合が小さくなるので、熟練労働の育成を待たずとも外食店舗の供給を実現することができるようになったのである。また、外食チェーンレストランは、主にアメリカからメニューや運営ノウハウを導入することも積極的に行ったので、多様なメニューや多様な業態を次々に開発することができた。外食産業では、多くの技術革新がとり入れられ、そのたびに新しい業態をつくりだした。

消費者の家庭に食料品を供給する食料品小売業においては、従来は業種別に食料品小売店が独立して経営されていたが、20世紀の後半に至ると、スーパーマーケットという新しい食料品小売形態が生まれて、次第に勢力を増すようになった。

スーパーマーケットでは、多数の冷凍ショーケースやチルド(冷蔵)ショーケースを備えた装備型小売店として、それまでの業種別専門小売店との品ぞろえ競争で優位に立った。また、スーパーマーケットの売り場では、消費者のセルフピッキングとしたので、食料品は、プリパックされるようになり、包装資材も天然素材から化成品(化学合成による製品)へと革新され、 このことが食料品の移動性や保管性を著しく高めた。

さらに、1980年代の後半からはコンビニエンスストアが急成長を遂げていくが、その原動力となったのは弁当・サンドイッチ・おにぎりなどの中食商品である。これらは、店舗の近隣の惣菜工場で生産されて、店舗に持ち込まれる。

工場では、内部を加圧状態にして周囲から空気を吸い込まないようにするなどして(外気には細菌が紛れるので)、雑菌が繁殖しないように細心の注意が払われている。また、食品の輸送中に温度が昇温も降温もしない、定温(恒温)物流システムを開発して採用した。

定温(恒温)物流システムとは、一言でいうと、弁当などの味覚を極力損なわずに、かつ日持ちもよくしたいという、二律背反の課題に対応する絶妙の輸送法である。こうした技術革新によって、コンビニエンスストアでは、次々と新商品(調理食品)を開発して、多様なメニューを消費者の身近に配置した。

以上のように、20世紀後半の食品技術として、コールド・チェーン、チルド・チェーン、定温(恒温)物流といった温度帯別の流通システムが構築されることとなった。食品の温度が人為(ビジネス)的に制覇・管理されるようになったのである。

つまりこれらは、素材食品、加工食品、そして料理といったあらゆる食品の多様な供給体制構築のインフラストラクチャーとなったのである。このインフラストラクチャーの構築は、それまでの食品流通の歴史になかったことである。今でも、諸外国に行くと、このインフラストラクチャーが未整備であるところが多い。つまりこの点で、わが国の食の多様な姿は、わが国に特徴的なことであるともいえる。

またさらに、食品添加物の開発は、食品の腐敗問題や味覚の問題の解決を比較的に容易とした。また調理法についても、それまで使われていなかったさまざまな加工技術が開発されて、食品開発や保存や調理などに応用されるところとなった。

以上のように、20世紀の後半以降は、食料品の取り扱いや料理をめぐって、歴史的にもかつてなかった新技術の開発と応用が実用化された時代なのである。これらを食料品取り扱いの基礎とすることで、紛れもなく現代人は食生活の多様化を止めどもなく進めるようになったのである。


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