目次

複数の店舗を経営するチェーンレストランのシステムに迫る
1.チェーンレストランのスタート
外食産業で個店経営が長らく主流で企業経営が確立しなかった最大の要因は、外食ビジネスの根幹である調理労働が、属人的なものとされていたからである。事業のノウハウのいっさいが特定の人格に体現されるとするならば、その事業はその特定の人格の範囲に留まらざるを得ない。

そのために、大規模な飲食施設の運営が可能とされたのは、大型ホテル(内のレストラン運営および宴会需要対応)などのように、専門的な職人集団が料理長の統卒のもとで調理労働に従業できた場面などに限定されたのである。
その意味では、店舗を増やすということは、調理担当者という人格、すなわち職人としての調理人の養成を待つということが必要であった。

いわゆる暖簾分けというシステムは、この意味で合理的な仕組みであった。
暖簾分けとは、ある店に一定期間俗にいう丁稚奉公したものが、その店の店名の使用権をもらって、別のところに飲食店を開業することであるが、その修行期間が、調理担当者としての人格形成期間、すなわち調理技術の習得期間となるのである。

職人(調理人)の養成は、一朝一夕にできるというものではないので、経済の高度経済成長期、都市の急膨張期では、急増する外食需要に対して、外食施設が常に過少にしか供給することができないという事情にあった。

外食チェーンレストランがスタートした1970(昭和45)年は、高度経済成長のピークのころである。
この前年に、わが国は第2次資本の自由化を実施して、その対象業種に「飲食店」を指定した。これにより、外国資本の国内での取引が可能となり、外食産業分野でのアメリカ外食企業などからの資本出資による合弁会社の設立や技術提携(ブランドを含むノウハウの売買)が進められることとなった。また、いわゆる市場開放を前に関係者のアメリカの外食産業視察も相次ぎ、独力で外食チェーンの運営ノウハウを構築しようと試みる起業家も多かった。

そうした最中にあって、1970(昭和45)年に大阪で開催された万国博覧会(「大阪万博」または「EXPO'70」と略称する)では、アメリカ館のレストランを受託運営したロイヤルのセントラルキッチン方式が、外食産業近代化の切り札として知れ渡るところとなった。

「大阪万博」では、予想をはるかに上まわる入場者があり、会場内に設けられたレストランでは、殺到する顧客に対して食材切れを起こしたり料理提供が間に合わなかったりして大混乱をくり返した。しかし、ロイヤルが運営するアメリカ館のみがそうした混乱を最小限のものとしていた。このとき、ロイヤルは、福岡の本社敷地内に設けたセントラルキッチン(当時は中央調理場と呼んでいた)をフル稼働させて、あらかじめ下ごしらえした食材を山陽道約600kmのピストン輸送によりしのいだのである。このセントラルキッチン方式こそ、アメリカのチェーンレストランの経営観察から学んだ手法のひとつである。

このようにして、飲食店の経営者や、総合スーパーなど流通企業、食品メーカー、商社などが、いっせいに外食産業の市場参入をめざして走りだしたのである。


2.チェーンレストランの発展
チェーンレストランは、同じ店名の店舗を多数擁して、同時に運営しようというもので、チェーンストアと同じ概念を外食産業に即していい換えた表現である。本部機構と店舗機構という2つの機能を分化して分業し分担するという考え方は同じである。

ただ、そうはいっても、外食のチェーンレストランと流通小売のチェーンストアとは、業界が違えば事情も違うので、経営のモデルも異なる。
チェーンレストランでは、上記したように、それまでの属人的に体現されていた調理労働力をどのように、本部と店舗とに分解して、再構成するかという根本的な課題がある。この課題へのひとつの有効な解決手段とされたのが、セントラルキッチン方式である。

すなわち、本部機構として、セントラルキッチンを設営することで、食材の仕入れと料理の前工程を分担し、店舗では、高性能の調理器具を動員して、あらかじめ下ごしらえされた食材から比較的に単純化された調理の後工程だけを担当するという具合に分業することで、調理全体をその総合力として実現しようというものである。

こうすることで、調理全体を統括する総調理長としての熟練労働は、セントラルキッチンにだけ配置して、店舗では比較的に単純な労働で調理可能となるのであるから、チェーンレストランとして店舗増設に際しては、改めて熟練労働力を調達しなくても、代替の効く比較的に単純な労働力を確保さえできればよいことになる。

また、外食産業の場合には、顧客に対する料理の提供だけでなく、それと並んで実施されている接客サービスも、その商品の重要な構成要素である。実際、メニュー内容がそれぞれのブランド(店名)により異なるのと同様に、接客サービスのあり方も、そのブランド(店名)ごとに特徴がある。高額の客単価が想定される外食店と比較的低額のそれとは、接客サービスのあり方がまったく異なるわけであるし、また似たような客単価帯でも、サービス方式の違いを企てることで、商品差別化ができるのである。

そこで、チェーンレストランでは、このサービスシステムの開発と店舗での徹底ということが固有の課題として重要なのであるが、これについてもアメリカのチェーンレストランから学ぶところは大きかった。たとえば、マクドナルドが日本で1号店をオープンしたのは、1971(昭和46)年のことであるが、すぐに同じチェーン店の増店を実現するために、 1号店開店に先だって、店舗スタッフの教育訓練施設を設けて稼働させている。同チェーンのその後の急速な店舗増設にもかかわらず、同チェーンのサービス水準が長らく外食産業界の模範として、内外で評価が高かったゆえんである。

ちなみに、専用のオフJT(集合教育)施設を仕組むことがかなわないチェーンでは、それに代わって、ハウスルールと呼ばれるマニュアル集の開発と、店舗を巡回するスーパーバイザーなどによる店舗スタッフヘの教育指導とを併用・活用したOJT(職場内訓練)手法を採用している



3.チェーンレストランの食材調達システム
多数の店舗を擁するチェーン店となると、食材調達のための仕組みづくりがメニュー品質の重大な決定要素となる。

チェーンレストランのメニュー数は通例、ファストフードで十数~二十数種類、ファミリーレストランで三十数~数十種類である。そのために使用される食材の種類も、メニュー数と同数程度であり、つまり比較的限定的である。

また、メニュー内容は、そのブランド固有のメニューを謳い、家庭料理との差異を強調することが一般的である。そのために、メニュー食材においても、一般家庭では入手がむずかしいようなものを選んで使用する傾向がある。勢い、そのメニュー固有の品種を求めたりする。たとえば、洋風料理を謳う店ならば、同じ食材でも和種系品種のものではなくて洋種系のものを用いるであろう。また、調味料なども、一般家庭におけるそれのように汎用的な種類ではなくて、専用種類を求めることになる。

チェーンレストランの食材調達におけるより本質的な課題は、チェーンのどの店で注文しても、同じ料理が提供されなければならないということであるので、そのチェーンで使用される食材は、サイズ、形状、部位などの規格が同一か、あるいはそろったものでなければならないということである。そうであるならば、各店舗ごとにバラバラに食材調達するということは、原則的に具合が悪いということである。

以上のように、チェーンレストランの食材調達においては、比較的に限定された食材種類で、かつやや特殊な専用種類の食材について、全店にそろうようにまとまった量を確保するということが基本となる。
また、そのチェーンレストランの料理条件に向く特徴的食材があるとすると、それを排他的に使用することで、他のレストランではまねのできない個性的なメニューを提供することができるということもある。したがって、チェーンレストランは、新規食材を探索したり開発したりして、調達しようという動機を内包しているのである。

そこで、チェーンレストランのこうした食材調達ニーズを理解すると、既存の食材を既存の流通チャネルに依存してすべて賄おうというのではなくて、そのチェーン固有の食材調達のチャネルを構築しようという方向性が認められるのである。

セントラルキッチン方式も、そのひとつである。この方式では、当該チェーンで使用する食材は、いったんは既存の流通チャネルも動員して、すべてこのセントラルキッチンに搬入され、ここである程度、加工処理されたうえで、各店舗に配荷されるのである。

また、ある程度のチェーン店数規模になれば、全量の買い取りを条件に、そのチェーンに即するように前処理を施した食材を食品メーカーに発注したり、業務用食材卸にそうした食材の調達を依頼することもできるようになる。この方式を採用すれば、自前でセントラルキッチンを建設したり、そこでの人材確保に腐心したりしないですむことになる。セントラルキッチン方式に対して、この方法を、仕様書発注方式という。

1970年代では、外食産業の勢力はまださほど大きなものではなかったので、食品メーカーの対応も限られていたし、既存チャネルの卸売業の対応もきめ細かくいかないところもあったが、1980年代以降では、外食産業の発展が著しいので、フードビジネス関係者はこぞって外食チェーンの動静に関心を寄せるようになった。そのために今日では、セントラルキッチン方式によらなければ、特徴あるメニュー政策を実現しにくいという状況ではなくなっている。


4.チェーンレストランの多様化
20世紀後半に入ったころは、外食施設の社会的供給は、その数量も種類もかなり限られていた。人々の外食施設の利用動機が、家庭の都合で「家庭内食」を営むことが困難なための代替行為としての外食とか、特別のハレの日のための行事的な外食行為であるとか、あるいは特別なもてなしのための接待外食とかに、比較的限定されていたからである。

これが高度経済成長が続くようになると、都市生活者の膨張とともに、日常食としての外食ニーズが拡大して、大衆食堂やそば店などの在来型の経営スタイル(個店経営)による外食店が増加した。
そして、1970年代以降にチェーンレストランが急成長を開始すると、それに誘導されるように消費者の外食ニーズが拡大した。消費者の食生活も、外食を楽しむという生活意識が生まれ、新しい生活体験として、そうした外食機会をさまざまにとり入れるような生活スタイルが普及した。

たとえば、ファストフードでは、ハンバーガー、フライドチキン、 ドーナツという、当時としてはそれまでの日本人の食卓にはとんどなじみのなかったメニューを掲げて、いかにもアメリカ発という「舶来の食べ物」が上陸したというイメージをまき散らして、流行現象となった。また、ファミリーレストランは、生活習慣上それまではほとんどタブーであった家族そろっての外食行為を前面に打ち出すような店舗造作やメニュー政策を意図的に採用して、消費者の支持を集めた。

一方で、 日常的な食生活場面での外食への誘導も、弁当、すしといった米飯メニューを掲げた持ち帰り業態のチェーン店や、牛丼、ラーメンなどの大衆メニューを掲げたファストフードチェーン店が全国に急増大して対応した。

さらに、1980年代半ばごろからは、新しいタイプの居酒屋チェーンも急成長する。もともと居酒屋は、営業時間が夕方以降と限られていて、主要顧客もそれまでは中高年男性に比較的限定されていた業態であったが、これを新タイプでは覆して、女性客や若年世代に積極的に働きかけて、市場拡大に成功した。

その結果、職場の同僚や友人同士といった多様な組み合わせで来店(夕食外食)するような機会を一挙に拡大するところとなった。

また、同じころから、必ずしもチェーンではないが本格的な専門料理を掲げるレストランも増え始めた。主にヨーロッパなどで修行を積んできた技能を有した調理人が自ら手がけるか、出資者を得たりして開店したものが多い。

いわゆる中産階級の拡大とともに、大衆的な市場に焦点が絞られたチェーン店では飽きたらない人、企業などの接待需要を有する人、さらにはそれまでのチェーン店利用からさらに高級なレストラン体験を求める人などが、このような専門料理店への需要を多く有していたのである。同様に、世界各地の調理やそれをアレンジした民族料理、エスニック料理の店も増店した。

また、それまでに供給制約があった食材が、規制緩和策や技術革新などで比較的に自在に調達できるようになると、こうした食材をメニューの中心に据えたチェーン店も拡大した。
牛肉は、かつては主に農業政策上の観点で輸入が制限されていたが、1991(平成2)年に輸入自由化され、その途端に焼肉チェーン店や牛タン専門店が急成長した。また、全国的に超低温物流網が敷設されることで、大型回転すしチェーン店も全国各地にできていった。

他方、21世紀に入ると、よく見知ったチェーンブランドよりも、より個性的なレストランが求められる消費者の意向も強まり、自然食を掲げるレストランや、田舎や野山などの特有の借景を有したレストランの人気も高まっている。


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